スポンサーサイト

.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

千葉県の猫神・花蔵院の猫 (1)

.24 2010 関東地方 comment(5) trackback(0)
「千葉」には、「猫神」が少ない。したがって、一つ一つの猫神様の発見が、その都度、無上の喜びを筆者にもたらしてくれる、と云う主旨のことを以前に書いた。これは、猫の実際の遺跡・遺物を見つけたときの感慨を述べていたのだが、古い文献に記された猫の伝説の地を特定出来たときなどにも同様の喜びがある。今回は、そんな探訪の話である。舞台は、筆者の地元に近い、「浦安」である。検証の過程で、「浦安」の隣りの「行徳」の話も登場する。


今回は写真がないので、「猫実珈琲店」の「猫最中 (白) 」を...。

一部の猫マニアにはよく知られていることらしいが、「浦安市」には、「猫実 ねこざね 」と云う町名がある。大雑把に云うと、東西線の「浦安」駅の南東側から「境川」に沿って南西方向へと延びる地域である。いまや市域の大部分が埋立地で構成される同市内にあって、埋立て以前から存在した草分け的な地域の一つである (後は、「堀江」「当代島」) 。戦後になってから開発された「浦安市」の大部分には、当然ながら、古い歴史的な遺物は皆無である。しかし、市内北部の草分け的な地域には、例外的に由緒ある寺社などが立ち並び、多くの言い伝えなども残されている。そんな寺社や伝承の中に、筆者のお気に入りの猫話が一つある。「花蔵院の猫」と云う話で、次のようなものである。

第十三 貓種々に妖 ばけ て人を害せる事

下総の国。花の露の花蔵院の猫。出家の貌 ねこ に妖 ばけ て。七八里近処の。花蔵院の知己なりし僧の寺へ徃 いき て。吾は花蔵院の同宿にて侍り。宿かし玉へと請けり。寺の内外能知たれば実なりと思ひてありしに。俄に花蔵院より使价 つかひ 来れり。猫此に驚きて逸 にげ さりけり。只今花蔵院の同宿来れりと語りければ。彼をとこ。それこそ猫の妖て所々に徃侍るなりと言を聞て。人皆おそれあへり
蓮体 (1693) 『礦石集』元禄六年
参照・『通俗礦石集』 (1900) 法蔵館、明治年間刊、p. 23

要約 「下総」の「花蔵院」の猫は、坊さんに化けて近くの寺に行って、泊めてもらっていた。寺の内外のことを熟く知っていたので、誰も疑わなかった。そこへ「花蔵院」から本物の坊さんが来たので、お仲間が来てますよと伝えたが、既に猫は逃げ去っていた。坊さんは、それこそ我が寺の猫に違いない、近頃あっちこっちに化けて出かけるんだと話したので、みんな恐れあったと云う。


最後の下りで、ててんと逃げる猫の姿が彷彿とされ、何気に可愛げのある話であるため、筆者はこの話が大好きである。だが、どうにも歯痒い点も一点だけ残される。それは、場所が「下総國」とまで分かっているのに、それ以上の記述がないため、伝説の地を特定出来ない、と云うことである。

既に筆者は、「浦安の言い伝え」であると言い切っている以上、この寺院が「下総」の「猫実」にある「花蔵院」であると断定するに十分な根拠を得ていると云えるのだが、探訪の出だしでは、この辺りのことが皆目見当がつかなかったのである。しかし、それでは困る。「下総」と云うのは、現在の「千葉県」だけでなく、「茨城県・東京都・埼玉県」の一部も含んだ旧地域名であるから、場所を特定しないと、胸を張って「千葉の猫神」だとは言い切れないのである。

そこで、旧「下総国」における「花蔵院」候補の寺院を調べていくことから作業を開始することになった。その結果、候補となる寺が十個みつかった。内訳は、「千葉県内」の「花蔵院」が四つ、県外 (「下総」該当地域) のものが四つ、県内県外の「華蔵院」が一つずつ、県内の旧名「華蔵院」が一つである。最初の四つが最重要候補であることは間違いないが、困ったことに、候補数が四つであろうと十個であろうと、『礦石集』につながる手掛かりはどこにも見つからないことに変わりはなかったのである。しかも、この最重要候補の四寺院のうち、「浦安市」の「花蔵院」は、住所までが「猫実」で、候補としてはこれ以上ないほどに魅力的だった。それだけに、手掛かりがないのが余計に惜しまれたのである。

こうなると、筆者も少し焦り出した。あまりに材料がないと云うのは、実は『礦石集』だけが「下総」の記述を間違えたからではないか、と疑心暗鬼になり始めたのである。そして、このように筆者が思ったのには、勿論、根拠があったのである。

「蓮華」と「蓮花」がどちらも使用されるように、各地の「花蔵院」と「華蔵院」とは、歴史的文書ではしばしば混同されるのである。そして、「華蔵院」ならば、「茨城県」の「那珂湊」に有名な「華蔵院の猫」の伝承が存在するのである (「常陸国」になるが...) 。「千葉」と「茨城」は、現在でも地理音痴には混同されやすい。現に、筆者の育った「千葉県柏市」辺りでは、「ちばらぎ県」と云う悪ふざけの言葉もあり、実際に実家の近くには「チバラギ建設」と云う工務店まである。

かの「大田南畝」が、『半日閑話』の中で「白仙といへる者年六拾に近き坊主也き。出羽国秋田に猫の宮あり、願の事有て猫と虎とを画て筆を持て、都下をうかれありき猫書ふ猫書ふと云しなり」云々と述べ、これに対して猫研究でも名を知られる「永野忠一」氏が、その著作の中で、現在の「山形県東置賜郡高畠町」の「高安」に鎮座する「猫の宮」の誤記であろうと提唱し (永野忠一『猫の幻想と俗信』1978、p. 74) 、大方の賛同を得ていると云う事実もある。古来、「秋田・山形」が混同されやすかったように、「千葉・茨城」も取り違えられたのではないか、と筆者には思えてきたのである。しかも、困ったことに「那珂湊」の「華蔵院の猫」の話は、「下総」の話とある程度似ているのである (詳しくは「茨城県の猫神」シリーズに入ったら記すこととする) 。

したがって、比較的よく知られた「那珂湊」の話が、伝聞されていくうちに、「下総国」と誤って伝わって、『礦石集』の著者の耳に入ってしまったのかもしれない、こんな風にも考え始めたのである。

しかし、こんな不安もすべて吹っ飛び、「花蔵院の猫」の舞台は「浦安市猫実」の「花蔵院」であると言い切れる日がやってくるのである。どうしてか?  

ヒントは、「ネコババ」。
続きは次回。


スポンサーサイト
 HOME 

プロフィール

clubey

Author:clubey
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。