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小さな命の消えるとき...

.27 2012 猫の殿堂 comment(9) trackback(0)
濃茶01
「濃茶」
月齢、二ヶ月を前に逝く...
 
一、

君は、千葉の片田舎の無人駅で、
姉二人と弟一人、
段ボール箱の中に棄てられていた。

かぼそく軋む三つの生命は、
自らの汚物に塗みれ、
失った熱を互いに求め、
ろび、絡まり、
うごめ き...

いまだ光射さぬ六つの目は、
黄色い脂に阻まれ、
みずからの生まれ出でた世界を
見ることもなく、ただ...

総身は毛羽立ち、
あるいは針のように、
あるいは渦のように、
あるいはつんつんと、
あるいはべたべたと。

夏終わり、秋始まる頃、
肌寒い、真夜中三時、
三つの醜悪な毛玉を腕に抱き、
僕は、そのあまりの軽さに絶句した。


二、

恐る恐る目脂を剥がし、
こわさぬように身体を拭い、
鼻つく異臭にむせながら、
僕のシャツにしっかとくるみ。

死ぬな、死ぬな、絶対死ぬな。
生きろ、生きろ、必ず生きろ。
無心で心に唱えつつ、
遠い。遠い家路をひた走る。

母を知らぬ君らよ、
家を知らぬ君らよ、
一年の日の数も、
夜の数も知らぬ君らよ。

陽の射しこむ優しさを、
風のそよ吹く涼しさを、
春待つ冬の長さを、
過ぎゆく秋の短さを、
人の手のぬくもりと、
温かく甘いミルクと、
香り立つ魚や鶏肉や、
ほつれる毛糸やゴムひもや、
この世にありとあらゆるものを...。

君らよ、生きて、生き抜いて、
すべての良きものを知れ。
悪しきに出会ってなお、
なお多くの良きものを知れ。

僕の腕の中に眠る君らよ、
生きてこの世をかけめぐれ!!


三、

家に着くや、僕は、
三月早いストーブを焚き、
タオルとドライヤーと、
毛布と湯たんぽと、新品の洗面盥と。
あれもこれも。
思いつく限り...

君らを浸すぬるま湯は、
瞬く間に茶灰色に濁り、
数知れぬ赤黒い点が浮き、
お尻から群なして零 こぼ れ出る蛆は、
白く太って、のたうち、沈む。

こびりつく汚れをふやかし、
一つ一つ指で揉みほぐし、
お湯を替えても替えても、
煮しめの茶汁は、次から次と。
後から後から。

君らの不満は、
刻と共に高まっても、
君らの小さな叫びなど、天に届くはずもなく、
巨大な悪の手は、
構わず上から延びきては、
君らを攫 つか み、ごしごしと、
ごしごしと。

その悪しき手は、
やがて悪しき口となり、
唸りを上げて熱い風を吹きつけ、
またもや、ごしごし、ごしごし。
ごしごし、ごしごし。

君らの悪夢が過ぎたとき、
僕の両の手には、
ふわふわ、むくむくの、
天から遣わされた君らがいた。

一番大きい君は、薄茶。
一番元気な君は、白茶 ぱいちゃ
そして、一番小さく、弱々しい弟よ、
君の名前は、濃茶。
僕が君に与え得た、
ほとんど唯一のもの。


四、

深夜の町を駆け回り、
手に入らぬミルクを虚しく求め、
侘しく脱脂乳を飲んだ最初の夜を、
君らは覚えているか。

それでも、お腹をすかせた君ら。
乳を満たした注射器に、
姉二人は吸いつき、むさぼり、飲み尽くす。
何度も何度も。
でも...。

濃茶よ、
君だけは、お乳を欲しくても、
もはやそれを吸う力を失って
焦点が合わぬまま、
虚空を見つめていたね。

わずかなお乳を一滴一滴、
永遠の時間をかけて飲ませたね。
君はそのほとんどを零したけれど、
最後には嬉しそうに、
小さく舌鼓を打ったね。

濃茶よ、
君は、覚えているか。
小さな注射器半分のお乳を、
君がはじめて飲み尽くした日を、
そして、君が丸々一本を飲み干した日を。

濃茶よ、
僕は覚えているよ。
君がお乳を飲み、お乳を離れ、
離乳食にまみれて、
少しずつ、ほんとに少しずつ、
大きくなった日々を。

そう。
君が奪う僕の睡眠ほどに、
君が大きくなってくれることを、
ひたすら願い続けたあの日々を。


五、

姉二人がご飯を食べる間も、
君は部屋の中をよちよちと、
行きつ帰りつ、
戻りつ、行きつ、
歩き回るのが好きだった。

君の散歩の邪魔をして、
君のための食事箱に移すとき、
君はいつも小さな聲で、
抗議の鳴き声を上げ、
それから。

泥んこ遊びの幼な児は、
身体ごと皿に入り、
わずかばかりの食事を楽しむと、
そこら中に痕跡を残して、
ふたたび抗議のシュプレヒコールを挙げたね。

べたべたになった君を拭き、
おしっことうんちを出してやり、
身体についたほどのご飯を、
君がいつか食べてくれることを、
僕は身を細らせて願っていた。

だから、君が大人のご飯を食べたいと、
姉たちに先駆けて言い出したとき、
僕がどんなに嬉しかったか、
どんなにほっとしたか。

成長の遅い君を心配して、
夜も寝られぬ僕に、
君は、睡眠を返そうとして、
大人のご飯を食べてくれたんだね。

君といた時間、
僕はいつも幸せだったけれど、
あの日からの二週間は、
本当に特別だったね。


六、

君が突然、食べる量を減らし、
みるみる痩せはじめた六日前、
僕は慌ててミルクと注射器を探し出し、
ミキサーの稼働音を響かせた。

見忘れていた注射器を思い出し、
小さな二つの肉球でそれを包むと、
何だか歯が邪魔で、うまく吸えないよ、と
君は、僕を不審げに見上げた。

朝も昼も夜中も。四六時中。
君のお腹がへこむ度、
君と僕の大切な時間がやってきた。
いまは望んでも、決してやってこない、
眠らず過ごした六十時間。
あの貴重な、貴重な時間。

食欲はなくても、君は、
いつも真っ先に僕のシャツをよじ上る子だった。
元気のなかった頃も、
元気が出た後も。
元気を失って行く中でも。

君の容態が急変して、
僕のパジャマをよじ登らなかったとき、
僕の心は不安に引き裂かれたよ。

それからの四十分。
僕の人生で一番長く、
一番短い時間だった。
引き裂かれた心は、やがて凍りゆき、
次第に、脆くも崩れ出した。

刻一刻と君は、色を喪い、
吐く息が荒くなり、
間欠的に咳をつづけたかと思っていたら、
最後に僕の人差し指にしがみつき、
血が噴き出すほどに嚙みついた。
そして、君は、そのまま...。

僕は、夜の国道を走りつつ、
毛布にくるんだ君から、
最後の生命が流れ出ていくのを、
ただ、腕の中に感じているしかなかった。

濃茶、濃茶、濃茶!!
君の名前を叫びながら、
夜中の病院を叩き起こしていたとき、
君はもう、目を見開いて、
口を半ばあけて。
君を始めてこの手にとったときと同じ、
あの真夜中の虚空を見つめていた。


七、

抹茶碗の桐箱に納まる君は、
黒光りする深緑りの手揉み茶の中、
黄鬱金 きうこん の茶巾に包まれ、
不満も述べず。抗議もせず。
小さく。小さく。

濃茶よ。
君は、どうして最期に僕の指を嚙んだのか?
生かしてやれなかった僕を恨んだのか、
それとも、必死にこの世にしがみつこうとしたのか。
それなのに、僕の指は、
君のわすがな生命さえ、つかみ留めてやれなかったのか。

嗚呼、濃茶よ!!

僕は、君を幸せにしてあげるどころか、
君を、ただ生かしてやることすら出来なかった。
僕は...。

僕は君に、
わずか二月の時間も与えてやれず、
わずか百四十グラムの生命と、
濃茶と云う名前しか与えられなかった。

君は、暖かい陽ざしの中を走ることも、
冬の炬燵を楽しむことも、
世にある良きもののほとんどすべてを知らず、
苦しみだけを、ただ苦しみだけを、その小さな胸にしまって。

濃茶、濃茶、濃茶!!
俺は自らの胸を掻きむしり、
無情な秋空に、君の名を叫び、おらぶ。
君の生命の重さに加えられるなら、
シャイロックの魔手に、
僕の肉を預けよう!!

切り取るほどにあると云うのに、
一ポンドの肉がなんだと云うのだ!!

俺の唾棄して信じぬ神は、
無辜の君にこの肉を与えず、
億万の不要の徒にそれを授ける、
高慢な暴君だ!!

秋の始まりに生まれて、
秋が終わる前に去り逝く君よ。
わずかな一筋の煙となって、
天に昇れ。

君をこの世に生み出し、
君を僕に授け、
ためらうことなく、
君を僕から奪った天だが、
君に何も与えられなかった僕に、
天を恨む資格はあろうか。

神も仏も信じたことはない。
死の先に、天があるとも思わない。
僕には、そんなものなくていい。
だが、濃茶には、
この世の生を与えられなかった濃茶には、
天国だけはあってほしい。

その天は、光り輝く常春の天であれ!!
苦しみも悲しみもない、
別れのない天であれ、
冷たい雨も、厳しい寒さも、
濃茶の嫌いなすべてのものがない天であれ!!
そして、鰹のおやつと、ささみと、
美味しいカリカリのある天であれ...。

茶碗箱の棺には、
一握りの手揉み茶と、
僕と妻の髪を少々、それに、
初めて写した般若心経。

濃茶よ、
お茶の気高い薫りに燻され、
仏の言葉に導かれ、
僕の知らぬ天に昇れ。
雲より高く、
空よりなお高く。

僕は...。君を...。


八、

君が逝き、
二日が過ぎた今も、
夜中に目が覚める。
二時間ごとに。
三時間ごとに。

ご飯は足りているか。
体温は落ちていないか。
水は飲んでいるか。
トイレはしているか。

ミルクの缶も、
ご飯を混ぜたミキサーも、
注射器も、お湯も。
いまはもう要らない。

君の小さな手形の残った段ボール箱を。
君の汚した毛布やマットを。
君の引っ掻き回した紙の砂を。
君のために開けた残りかけのパウチを。

あの日、真夜中に組み立てた君の家を、
一つ一つのつなぎ目を外しては、
何日ぶりの温かい陽ざしの中、
小さく畳んで、平たく束ねて。

君が僕の指先に残した、
わずか幅一センチの傷痕は、
片付けの間も痛みつづけたよ。
 
     *
 
濃茶よ。
いまはもう往きなさい。
往きなさい、向こうの岸へ。
逝きなさい、平穏な彼岸の境地へ。

君は、
姉二人の中、
世のすべての猫たちの中、
いや、生きとし生けるものすべての中に、
常永遠に、
繰り返し、生き続けよ。

そして、願わくば、
君を見殺しにした、
僕の中にさえ...

濃茶よ、
君が一番、好きだった。
 
濃茶02
筆者の膝でくつろぐ、在りし日の「濃茶」

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