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千葉県の猫神・相川の猫

.25 2010 関東地方 comment(2) trackback(0)
大桶の猫山 (2)

真言宗・豊山派

光明山・普門院
市原市相川 93


「秋葉本家」の周囲。美しい田園地帯であった。


1. はじめに : 「大桶の猫山」の話


前回の記事で、「市原市大桶」の「城跡山」を舞台とした「猫の踊り」伝説を紹介した。このお話の興味深いところは、筆者の知っている限り、いままで著名な出版物で紹介されたことがないと云うことである。もちろん、断片的には前回の記事でも見たように『市原郡誌』や『市原市史』のようにこの伝説を採り上げている書籍も過去の地誌類にはあるが、まとまった話と云う形で収載している本はないと思う。

これは、民話学者の側の無知や怠慢から起きたことではなく、むしろその正反対で、民話などを専門に扱う人々の高い見識とプロフェッショナリズムが、断片的にしか分からない伝承を恣意的に再構成して復元することに対して自重するよう働いているのだと思う。これは、我が国の民話学の全体的な動向が非常に健全で良心的であると云うことの証左なので、大変喜ばしいことなのだが、筆者のような不躾な門外漢、と云うよりただの「猫」伝説収集家としては、まとまった形で再話されるのを見たいと云うのが本音である。

と云う訳で、以上のことを断った上で、筆者は今回の記事を書き始めるに当たって、手に入れた資料を元にして「大桶の猫山」の話を再現しようと思う。これは、ある種の趣味的な試みに過ぎず、学術的には何の価値もないことは、あらかじめ断っておきたい。

私家版

大桶の猫山

今を去ることおよそ二百年、秋夜の月清 さや けく虫の喞 すだ く頃、かつての「市原郡・大桶村」 で起きた出来事である。

*

ある日、「相川村」の「新三左衛門」が、用事があって遠くへ出掛けた帰り、「大桶村」の峠に差し掛かった辺りで、日がとっぷりと暮れてしまった。「新三左衛門」は、これは困ったことになってしもうた、と必死に歩いたが、気づくとすっかり道に迷ってしまい、いつの間にやら山なか深くに足を踏み入れていた。

たいそう心細くなった「新三左衛門」が膝を抱えて途方に暮れていると、遠くから何やら小さな音が聞こえてきた。耳を澄ますと、それはそれはかすかだが、笛や太鼓の鳴る、賑やかなお囃子の音のようだった。こんな山中でお囃子が聞こえるなんて、と不思議に思った「新三左衛門」は、音のする方へと忍び足で寄っていくと、やがてはっきりとお囃子が聞こえてきた。

 ピーヒャラドンドン、ピーヒャラドン
  ピーピーヒャラヒャラ、ピードンドン

それは楽しそうなお囃子だった。「新三左衛門」は、すっかり好奇心をくすぐられ、先ほどまでの不安を忘れてさらに近寄ってゆくと、生い茂る樹々の合間から、盛んに燃える篝火の灯りも洩れ、何やら大勢が歌い踊る影まで見えてきた。

これは助かった、と喜んだ「新三左衛門」が仲間に入れてもらおうと飛び出しかけたとき、ふと踊っている数百の影を見ると、みな「新三左衛門」よりかなり小さいことに気づいた。はて、これはどうしたことかと思って二度見直すと、「新三左衛門」は、喉まで出かかった悲鳴を危ないところで飲み込んだ。手拭をかぶって、手を振り振り、足を踏み踏み踊っていたのは、みながみな「猫」だったのである。

驚きの中、さらに目を凝らすと、猫たちは、山海の珍味を並べて、美酒を互いに差しあっては、笛太鼓の歌舞音曲に酔い痴れていた。しかも、よくよく見れば、「新三左衛門」が知っている猫も何匹がいるようだった。そう、一匹は「長南宿」の「伊勢屋」の猫で、もう一匹は何と、「新三左衛門」のうちで飼っている猫だった。

我が目を疑っていると、我が家の猫が目敏く「新三左衛門」を見つけて、酒肴を持って寄ってきた。そして、主人を御馳走でもてなした後、早くここから帰るニャと諭して、帰り道を指し示してくれた。

「新三左衛門」は、何だか化かされたみたいな夢心地の気分で、それでも教えられた通りに道を辿ると、いつの間にか「相川」の我が家の前に着いていたと云う。

「新三左衛門」と猫が、その後どうなったかは知らぬ。



2. 「相川」の地へ

今は「市原市」に属する旧「相川村」の中心部に至るには、国道297号・大多喜街道のバイパスと本道を結ぶ区間を走りながら、「浅井橋」で「養老川」を東へと渡った後、二本目の小さな路地を右へと入ればよいだけである。


入口近くには立派な石鳥居の「石神神社」があり、その先、左手の空き地に石仏群が現れるが、この辺りが蛇行する「養老川」の北岸に広がる集落の中心だと云えよう。


石仏群が立ち並ぶのは、かつての「普門院」で、現在の「相川自治会館」の裏手の竹林があった土地らしく、無数の石仏も、この竹林を伐採した時に出てきたものだと云う。この石仏群の正面には白い壁の木造建築物が建っているが、これは自治会館なのである。建物自体から見ると石仏のあるのが後ろ側で、正面に廻ると、前庭に子供用の遊具や、さらに数体の石仏などが据えられていた。建物の入口には、「普門院」の表札が今も掛かり、集落全体で管理しているとのことであった。

今は地区の自治会館となった「普門院」。正面から撮るのを忘れた...。

この「普門院」は、いまでこそ見る影もないものの、かつては「市原郡」の「四国八十八ヶ所霊場」の「第十一番札所」として栄えた寺院で、本場の霊場の「藤井寺」を模したものであったと云う。

「市原郡」の「四国八十八ヶ所」とは、天明三年 (1783) 五月に「能満」の「釈蔵院」を「第一番札所」と定めたのを皮切りに、「第八十八番札所」の「千光院」 (菊間) までに「四国の八十八ヶ所」を移築したものである。ちなみに、「普門院」は、「本尊」が「十一面観音」であったことから、この他にも「上総三十四ヶ所観音霊場」の「第三十四番札所」でもあったそうである。



3. 「相川の猫」に関する諸考察


「相川の猫」の伝説と云うのは、「大桶の猫」と同じものである。したがって、「大桶の猫」の記事の中でもまた今回の記事の冒頭でも、既にこの伝説の内容は紹介済みなのだが、便宜上、『市原郡誌』『千葉県の不思議事典』の中の記述に関しては、重複になるが、「大桶の猫」の記事の中から該当部分を下に抜き書きする。

六、猫山

大桶区にあり之を古老に問ふに今より凡そ二百年の前頃、東は長南伊勢屋の猫、西は相川村新三左衛門の猫を始めとして、数百の猫集まりて盛宴を張ることあり、秋夜月清く虫喞く頃、其の歌舞の状を目撃することありしと、今は此の山周囲を青年団の為めに伐採されて開墾する所となり、山頂の平地に四・五の老椎を存するに過ぎず。

千葉県市原郡教育会 (1916) 『市原郡誌』千葉県市原郡役所、p. 1057

『市原郡誌』には記されていないが、『千葉県の不思議事典』によると、「新三左衛門」は、「猫の踊り」を目撃するに当たり、我が家の猫に御馳走になった上、早く帰るよう諭されたと云うから面白い (森田保/編「猫の宴会」『千葉県の不思議事典』新人物往来社、1992、p. 197) 。

さて、「キング・レコード」が出している『昔話ふるさとへの旅 (12) ・千葉』と云うCDに「10. 七曲の猫山」と云う話が収められており、その中に「相川の太郎兵衛の猫」と云うのが登場するのだが、再三の問合せにも関わらず「キング・レコード」が採話地を明らかにしないので、これが「市原市の相川」なのか「富津市の相川」なのか、はっきりしないのである。筆者は、「市原の相川」の「猫伝説」の影響を受けて「富津の相川」の「猫伝説」が派生したものと見ているのだが、詳しくは「七曲の猫」の記事の中で述べることとする。

「市原の相川」の話に戻ろう。
昭和五十四年 (1979) 発行の『市原市史・別巻』には、「相川の新左衛門」のことを「相川 85、秋葉良一氏」と紹介しているが、これはどうやら違うか、あるいは少なくとも断定するには早計の情報のようである。先日、同住所の「秋葉氏」を訪ねたところ、住所も名字も間違いないと云われたが、「新左衛門」も「秋葉良一」も、北隣りの「分家」のことだそうで、「相川 85」の住所は、今も昔も「本家」に当たるそうで、「猫の伝説」も「本家」に伝わるものだと思うと告げられた。「本家」の屋号は「かみ」と云うそうで、本人たちも漢字は分からないと云うことであった。逆に、「分家」の「屋号」は「しんたく (新宅か?) 」だと云うことであった。「本家」の現当主は「秋葉徹」氏で、氏の話では、おそらく「本家」の先祖の「ぜんしょう」あるいは「新三郎」と云う人の代の伝説ではないかと云うことであった。おそらくは、後者の「新三郎」だと思うとおっしゃっていた。

このことから筆者が気づいたことが一つあった。大正五年 (1916) 発行の『市原郡誌』には、「相川の新三左衛門の猫」と記され、昭和五十四年 (1979) 発行の『市原市史・別巻』には「新左衛門」と書かれているのをただの誤植くらいに考えていたのだが、どうやらこれは「新三郎」と「新左衛門」と云う二つの名前が混ざってしまった結果の誤植なのではないかと思えてきたのである。いずれにしても、この件に関しては、今後とも継続的に調査していくつもりである。

今回は、集積した情報が未だに少なく、どことなく中途半端な記事と鳴ってしまったが、今回はこれで一旦の終わりとする。

*

残念ながら、現在、「秋葉本家」では猫を飼っていないそうである。


「相川」地区の「普門院」の地図は、こちら



参考文献
・千葉県市原郡教育会 (1916) 『市原郡誌』千葉県市原郡役所
・市原市教育委員会/編 (1979) 『市原市史・別巻』市原市
・森田保/編 (1992) 「猫の宴会」『千葉県の不思議事典』新人物往来社
・キングレコード (2005) 「10. 七曲の猫山」『昔話ふるさとへの旅 (12) ・千葉』
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comment

庭のねこ
各地から大桶へ集まり、踊ったりしている猫たちを想像すると、何度か見たことのある猫の集会を思い出します。
「やあやあ、これは何処何処の何さんとこのではないですか。」みたいに話し合っていたのかしら。
新三左衛門が羨ましい限りです。
2010.05.30 21:02
clubey
> 新三左衛門が羨ましい限りです。

ほんと、ほんと。いつか自分ちの猫が外で集会しているのに出会って、御馳走勧められたいものだよね。生のネズミとか、出されるとちょっと困るけど...。
2010.06.09 02:58

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