スポンサーサイト

.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

栃木県の猫神・熊田坂温泉神社の猫

.13 2010 関東地方 comment(4) trackback(0)
栃木の猫神を求めて 4)


1. はじめに

「独鈷沢」の「金花猫大明神」を後にすると、次の目的地は、「那須」地方の「猫神巡り」となった。ここまでの旅路は「日光地方」を巡るのものだったのに対して、ここからは「那須塩原」を東へと突き切って、「那須地方」に移動することになると云う意味で、この日の「猫神巡り」は、真に後半に突入したと云える。

道程としては、国道121号をそのまま北上しつづけ、途中、「南会津」に向かわず「塩原温泉」に向かって、一途、下っていく行程になる。今回も、「塩原温泉」の名勝などは、「通過」する。



2. 「熊田坂温泉神社」の「猫神様」を訪ねる

国道121号を北へと進んでいると、「上三依水生植物園」を右に過ぎた、少し先で、右折して国道400号に入ることになる。長く走ってきた会津西街道とは、ここでお別れである。そして、ここから先は「塩原温泉郷」となる。

普段は、会津西街道をそのまま北へと進み、「会津荒海」の「勝三窯」などに向かうことが多いので、何だか名残惜しい半面、「那須」方面へと向かうことの新鮮さに、少なからず胸が高鳴ったとも云える。


a) 「高原大根」追想

国道400号への曲がり角の正面に農産物の直売所があり、季節になると「高原大根」を山積みにして売っている。少なからず食指が動いたが、今回は店を視認するのが遅れて、やや通り過ぎてしまったことと、いまだ「高原大根」の最高の旬にはなっていないこと、それに実は時間が少しずつ押してきていたことの三つの理由から、次回の訪問時の楽しみにとっておくこととした。

それにしても、最後に「高原大根」を食べてから時既に久しいが、近頃も変わらぬ美味しさを維持しているのだろうか。少年の頃、父親が会社の出張帰りに「塩原」で買ってきてくれた「高原大根」は、何だか梨のような美味しさだったのを覚えている。

「独鈷沢わさび園」の御主人の話の中で、昔は「養蚕」で栄え、次いで「高原大根」で栄えたけど、それもなくなって過疎化してしまったと云うような発言があったのを思い出した。おそらくは、「高原大根」を作っている農家の数も激減しているのだろう。

残された少数の生産農家は、むしろ頑迷なまでに誇りを持って「高原大根」を作ってきたのだろうから、さほど心配することはないかも知れないが、もしも「塩原温泉」にやってきた湯治客向けの安っぽい生産に切り替えていたら、その質も下がっているかも知れないのである。そうであると決まった訳では決してないが、似たような事例をあまりに多く見てきたものとしては、やや心配にはなる。

まあ、しかし、この件については、次の稿では報告出来ることだろう。何しろ、食べてみれば分かることなのだから...。


b) 「塩原温泉郷」通過

国道400号は、概ね「尾頭沢」に沿って走り、やがて「尾頭トンネル」をくぐって、かつての「尾頭峠」越えを果たすと、自治体は既に「日光市」ではなく、「那須塩原市」である。そして、この辺りからいよいよ本格的に「那須塩原温泉」の領域に入ったことになる。初めは、「元尾頭沢」を越え、その沢の流れ込む「箒川」に沿って下り、その川に「今尾頭沢」が合流する辺りから、左右にぽつぽつと温泉施設が現れるようになるのだが、この辺りを「上塩原温泉」と云うらしい。そして、北から県道266号線が合流した辺りからは「中塩原温泉」と云うらしく、しばらくは伝統ある温泉街のたたずまいが何キロにも渡って続くことになるが、本稿では略す。ちなみに、「下塩原」と云う呼び方はされないようで、おそらく裾の方は元祖として、単に「塩原温泉」を名乗っているのだろう。

さて、「塩原温泉」のしっとりした温泉街の風情を抜け、「道の駅・湯の香塩原」を過ぎた辺りから、視界はなだらかな山の裾野となり、道沿いの背の高い並木の向こうは、どうやら名高い「那須高原」の牧場地帯となっているようであった。左右に大きな牧場を幾つか過ぎると「西那須野塩原インターチェンジ」に至る。


c) 「熊田坂温泉神社」へ

われらは次の目的地へと向かうために、ここから東北道で「那須インターチェンジ」までわずか一区間のることとした。途中、左側に多くの牛や馬が草地にゆったりと過ごしている光景を見ながらの走り出しであった。やがて「蛇尾川」、そして「那須塩原市」と「那須町」の境になっている「那珂川」を過ぎて「那須町」に入ると、もう「那須インター」は間近である。

高速道路を降りて最初の信号を直進、突き当たりを左折して県道17号線の南ルートへと入る。「那須分岐点」ではやや左前方の直進方向に進み、県道178号線に入る。東北新幹線JR東北本線をくぐり、「高野川」を越えて、さらに国道4号をくぐって後、大きな分岐路にでるが、ここは右折して県道を維持しなければならない。

そして、この右折の後、少し行った先から、ところどころ道幅が極端に狭くなるので注意を要する。しかし、ここまで来ると、もう目的地は目と鼻の先である。自治体が再び「那須塩原市」へと変わってから、ほんの数百メートルで、左側に神社の入口と駐車スペースが見えるはずである。この神社こそが、われらの目指す「熊田坂温泉神社」である。

熊田坂温泉神社

那須塩原市寺子字熊久保 2182-2


参道入口、左手斜面の囲い地に、何やら巨大な切り株のようなものが保存されている。これが、かつて「赤坂の大柏」と呼ばれ、平成元年 (1989) に発表された「とちぎの名木100選プラス1」に選ばれた大木の今残る姿なのである。平成十三年 (2001) には県の天然記念物にまで指定されたが、その後、落雷で折れてしまったようなのである。「雷神」を祀る神社の神木が、雷で折れると云うのも何やら因縁めいてはいないか。

しかし、「栃木県」がこの柏の大木を天然記念物に指定した際、その名称を「赤坂のカシワ」としていること、その登録地を「那須塩原市 (旧黒磯市) 大字越堀字赤坂」としているのも面白い。地図で見る限り、県道178号の南側は確かに「越堀」なのだが、北側は「寺子」であるはずだからだ。現に、「熊田坂温泉神社」の住所は「那須塩原市寺子」なのである。要するに、この辺りはかつての越堀村と寺子村の境界域に当たるのであり、その意味ではこの神社が果たしてどちらの集落の鎮守様だったのかも気になる。位置のあまりの微妙さを考えると、もしかしたら「明治以降」の「神社合祀」の動きの中で、二つの集落の鎮守を一つにまとめたのかもしれない。名前が「熊田坂温泉神社」と、ややくどくなっているのも、そのことを示唆しているのかも知れぬ。あまり重要なことではなさそうだが、調べると何か面白い事情が明らかになりそうな問題である。


参道の石段は、初めは数段で「赤坂のカシワ」があるのと同じくらいの高さの狭い台地に出る。その先に石鳥居が見え、その向こうからは本格的に急な石段となると同時に、左右も完全な杉の森に取り囲まれる。小さな鳥居に張られた注連縄は、何故だか非常に低く提げられており、背のあまり高くない筆者でさえ、顔にぶつかるほどであった。

しかし、今回、この神社を訪問した筆者の目的は、石段の向こうの「本殿」にはなく、最初の狭い台地の石碑群にある。そして、その石造物の群れの中でも、お目当ては特に二つの特殊な石像にあったのである。すなわち、二体の猫像である。


石鳥居に向かって左側の台地には、「大黒天」と彫られた石碑を真中に、左右に「猫の像」が据えられているのである。


二つの像とも、耳の損壊が激しく、丸坊主になってしまっているが、ここの猫像は、どこの猫像に比べても写実的に猫らしく、そのしなやかなフォルムは無駄なデフォルメなしに、猫の姿態を如実に活写している。やや大袈裟かも知れぬが、本来ならば、芸術品としても一級のものなのではないかと、筆者は秘かに思う。左の猫像は、身をわずかにくねらせては、背中を丸めて座る猫独自のポーズをとり、右の猫像は逆に姿勢も美しく、正面を見据えて端座する猫を表現している。左の像の方が損壊の度は激しく、台の部分を大きく欠いた上、前に着いた両前肢も、半ばが折りとれている。

表情も、左右で異なり、左側の猫はやや上を向いて、目をきりっと見開いて前方を注視している。それに対して、右の猫は、目を完全に細めて、優しげな仏顔で微笑んでいるのである。心なしか、口元もこちらの方が緩んでいる気がする。その対照的な表情を見るにつけ、もしかしたら、この猫たちは元々は別の場所で一対の「狛猫」として「阿吽」を形成していたのかも知れぬと思ったほどである。確かに、そう考えると、台座への据えられ方から見ても、現在地へは後から移されたのではないかと思われる節があった。ただ、これだけの材料で、以前は参道の両脇を固める「狛猫」だったと判断するのは難しい。

これら猫像の由来について、地域の人に尋ねると、かつて「養蚕」農家の村人が、「蚕」を「鼠の害」から守ってもらうことを願って、「猫像」を奉納したもので、明治四十年 (1907) の奉納であると云う。


ただ、筆者がとりわけ疑問に感じたのは、これら二体の猫像の配置であった。明らかに「大黒天」の石碑を挟んで対置されており、それらが相対的には無関係であると云うには無理があったからである。奉納年こそ「明治五申年 十二月吉日」とあって違うものの、はっきりと配置されているからには何らかの信仰上の関連性があるのであろう。一体、猫と「大黒天」の関係とはいかなるものか、これが気になった。

思い起こしてみると、この日一番に訪問した「所野」の「磐裂神社」でも、猫像は「大黒天」の石碑と共に祀られていた。これは、はたして偶然なのだろうか。かつてはよく知られていたように「大黒天」の眷属は「鼠」である。だから、まるで関係がないとまでは云えないが、それにしても「鼠」の頭領たる「大黒天」の両脇に猫を祀ると云うのは、何やら不自然ではある。今後、もう少し考察を加えていかねばならぬ課題であろう。

*

「猫神」のことはここまでとして、折角ここまで来たのだから、「本殿」を拝まずに帰るなどと云う非礼があってはいけない。われらも取り敢えず境内へと登ることとした。


見上げると、石段は三段構成になっており、中段の平地には左右に一対、立派な石灯籠が見えた。その先、三段目の石段が始まる手前に二の鳥居が見える。鳥居には、石の扁額がか掲げられ、かなりの崩し字で、上の方に横書きで「熊田坂」、中央に縦書きで「温泉神社」と刻まれていた。石鳥居の左右の支柱には、「望田・熊久保・赤坂 氏子中」「明治三十四年三月建立」と刻されていた。明治三十四年とは西暦1901年である。

三段目の石段を登り切ると、左右の薄暗い杉林は途端に途切れ、眼前には光の差し込む開かれた台地が現れる。そして、その石段上の広い台地の奥、さらに石垣を築いて高くした土地に、木造の「社殿」が鎮座している。屋根は赤い銅板葺きの入母屋造である。素朴だが、荘厳な雰囲気の漂う空間であった。
 

興味深かったのは、「社殿」前の注連縄もかなり低く提げられていたことである。もはやここまでくると偶然とは云えず、何かしら確固とした信仰儀礼上の根拠があって行われている張り方なのだろうと判断出来る。問題は、今回の訪問ではその内容まで明らかにすることが出来なかったことである。

「社殿」のある台地や、石段の左右には、枯れた草木が降り積もっており、そのしっとりとした隙間からは、小さな蟋蟀の幼生などが無数に姿を現していた。これだけ蟋蟀がいれば、蛙たちも苦労しまいと思っていた矢先、かなり肥え太った「ニホンアカガエル」が足元から必死の跳躍を繰り返して逃走を図った。あれだけ一生懸命に逃げられると捕まえるのも少し躊躇われるが、そこは蛙好きのさがで、しゃがみ込むと素早く赤蛙めを取り押さえたのである。

捕獲して改めて感心したのは、これだけ大きな赤蛙は、ずいぶん久しく見たことがないと云うことであった。もちろん、いる所にはいるのだろうけれど、筆者個人としては、少年時代を最後にこれだけの大物に出くわしたことはなかった。同行していた妻にも見せてやろうとするのだが、赤蛙と云うのは、どうも雨蛙などと違って、逃走欲が極めて激しく、諦めることなく、絶えず逃亡を図るし、いったん逃げると猛烈に跳躍を繰り返して遠ざかるので、掌に載せて人に見せると云うのが容易でない。このときも、妻に見せようと閉ざした両手をわずかに開いた瞬間に、むにむにとその隙間に体を入れてきて、瞬く間に地面へとダイブすることに成功されてしまった。何しろ、こちらは蛙を傷つけてはなるまいと、そっと扱っているので、逃げる相手を足でむんずとつかむなどと云うことは出来ぬ。この日は、赤蛙の跳び去る姿を妻と二人で笑いながら見ることで決着した。

念のために云っておくと、捕獲した赤蛙は、しばらく楽しんだ後に解き放すつもりではあった。

*

石段を下りて、下の県道に戻ると、来たときの進行方向に向かって百メートル (目測。まったく当てにならない) ほど先に、下のような道路標識が掲げられていた。つまり、この標識に近づいたり、通り越してしまったりしたら、「熊田坂温泉神社」の前はとっくに過ぎてしまっていると云うことである。


念のために、参道入口の右手にある「赤坂」のバス停の写真も載せておこう。注意していれば意外と目立つので、参考にはなるかと思う。ただし、西側から接近した場合は、神社の駐車スペースはこれより手前にあるので、悪しからず。「黒羽」「黒磯」方面から向かっている場合は、バス停の先十メートルほどで駐車スペースである。


全国の猫好きの皆さん、この美しくも愛らしい「猫神」たちのもとを、是非一度ご訪問下さい。ただし、こういう貴重な民俗的文化財は、税金ではなく、地元の人々の善意や信仰心、郷土愛によって支えられていることに思いを馳せ、神社へのお参りとお賽銭も忘れずにお願い出来ましたら、この上なく幸いです。

*

最後になりましたが、筆者が「熊田坂温泉神社」の「猫神」の存在を知ることになったのは、ウェブサイト『神使の館』の中の「猫」関係のページを訪問したことが切っ掛けでした。「蚕神としての猫」あるいは「大黒天と猫」の関係などに関しては、意見は異なりますが、大変参考になりました。この場を借りて、御礼申し上げます!!

「大黒天と猫」の関係に関する筆者の考えは、またいずれ別稿において、まとめたいと思っている。

「熊田坂温泉神社」の地図は、こちら
久しぶりの「マップファン」である。



参考サイト
・『神使の館』「猫と大黒天」
 http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/06neko-daikoku.html
・『神使の館』「猫 ~ネコ 養蚕、蚕神、保食命の猫」
 
http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/neko/neko-1.html#daikokuten


スポンサーサイト

comment

庭のねこ
お久し振りです!

本当にリアルな像ですね・・・!
大きさも実際の猫くらいでしょうか。もう少し大きいようにも見えますね。
どちらも、よく見る猫のポーズですよね。現に今、ごまも写真の右の像と同じポーズをとってました(笑)。
こんな像もあるんだなあ、と感動(ショック?)しちゃいました。
2010.06.29 00:20
clubey
> お久し振りです!
いえいえ。お元気でしたか?

> 本当にリアルな像ですね・・・!
そうなんです、ここまで精巧な造りの猫像は、よそでもあまり見た事がありません。

> 大きさも実際の猫くらいでしょうか。もう少し大きいようにも見えますね。
うーん。正確には測り損ねたのですが、本物の猫よりは二まわりくらい大きいかも。今度行ったら、ちゃんと測ってきます。50-60センチくらいかなぁ...。

> どちらも、よく見る猫のポーズですよね。現に今、ごまも写真の右の像と同じポーズをとってました(笑)。
そうですか。ごまちゃんさんは、猫神道まっしぐらです!!

> こんな像もあるんだなあ、と感動(ショック?)しちゃいました。
近くに行かれたら、是非、見にいって下さい!
2010.06.30 11:46
先頃、当該神社を訪ねた者
先の東日本震災の為、二の鳥居及び社殿は倒壊してしまいました。
このページに掲載されております写真は、貴重な資料として拝見しました。
※一の鳥居より下にあった各種石碑等は全て無事です。もちろん、猫さん達も。
2011.09.20 15:05
clubey
そうでしたか....。震災の影響は、当然、北関東にも及んでいた訳ですよね。それにしても社殿まで倒壊してしまうとは。地元の方々が、いつかまたこのお社を再建出来る日が来ることを切に願うばかりです。今度、手持ちの資料を整理し直して、一の鳥居や社殿の、より鮮明な画像をアップロード出来るようにしたいと思います。貴重な情報をお寄せ頂き、有り難うございました。
2011.09.20 20:37

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://nekonokamisama.blog3.fc2.com/tb.php/28-9ec9c4ac

プロフィール

clubey

Author:clubey
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。