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福島県の猫神・小手内観音堂の猫像

.04 2010 北海道・東北地方 comment(0) trackback(0)
小手内観音堂
伊達市山舟生字小手内 59番地

小手内観音堂02・正面から
「小手内観音堂」

1. はじめに

「舟生不動堂」が比較的簡単に見つけられたものだから、筆者はうっかり浮かれた気分に流され、次の目的地である「小手内観音堂」も簡単に見つかるだろうと思ってしまっていた。「不動堂」は、それでも阿武隈急行富野」駅前と云う、農地も目立つが一応の市街地にあったから探索がうまくいっただけだと云うことをすっかり失念していたのである。当たり前だが、「猫神」探訪は、奥深い土地に行けば行くほど難易度が上がることが多いのである。そう云った意味では、「小手内観音堂」は、まだまだ中級編だったが、油断しきっていた筆者にはちょっとしたカウンターブローの役割は果たしてくれた。

行き道は、「舟生不動堂」の前から説明する。まずは、宮城/福島県道101号・丸森梁川線を北上し、道が大きく右へと湾曲するとき、左に現れる県道104号・川前梁川線への分岐は無視して、道なりに走り続ける。ここからしばらくの直線路を抜け、「山舟生川」を渡ると、いよいよ「山舟生」地区に入ったことになる。

車窓から見える景色も、この辺りからガラリと、山里の光景へと変わる。そして、この先、地図と照合する目印は、学校やその他の公共施設を除けば、もはやバス停くらいしかなくなる。幸い北国のバス停と云うのは待合所も兼ねていて、たいていは三方を囲まれた屋根付きの簡易建造物になっていることが多いので、都市部や雪の降らない地方のバス停よりはかなり視認しやすい。この日も、「七ツ釜」「鹿野」と二つのバス停を過ぎ、次の「小手内」の停留所を逃さぬよう、目を皿にして車外を見ていた。

いざ「小手内」に到着すると、バス停横の広く区画された路肩に車を駐めて、後は徒歩の探索行とならざるを得なかった。雨が降ってきたこともあり、妻は念のためにハザードを焚いて車中で待機すると云う。ちなみに、筆者は傘と云う代物が大嫌いである。大雨の時は差さない訳にはいかないが、ちょっとやそっとの雨では傘を差さない。この日も、帳面と筆記具、それにデジタル・カメラを入れた袋以外は手ぶらで、勢い良く「小手内」の集落内へと向かった。

蛇足ながら付け加えると、「小手内」と云うのは、どうやら「おでうち」と訓むらしい。



2. 「小手内観音堂」へ

「小手内」のバス停から、十メートルほど先に、集落へと向かう一本道が通っており、この左右が田圃の道を抜けると、左右に民家が一軒、二軒と散在している。役場で確認したところでは、この集落の裏山の中に「観音堂」はあるはずなのだが、もらった住宅地図を見る限り、裏山と云っても、どうも人の地所内のような気がしてならない。

歩いてきた一本道は、集落を横に貫く道と交錯すると、左へと曲がりながら、例の裏山の手前を急な上り坂となって勾配を高めていく。地図を見ると、道はそのまま字「和田」へと通じているらしい。その曲がり始めの角からは、そのまま二軒の家の間を縫って真っすぐに延びる未舗装の小径があり、どうやら「観音堂」のある方へと続いているようである。しかし、確信もなく、よそ様の土地を無断で踏破するのは気が進まなかったため、一度、集落を横断する道まで帰って、人の気配を探った。

運良く、何かの作業用のライトヴァンが、四つ辻の左手の家に泊まっており、作業服の男性が後ろの扉を開けていたので、声をかけてみることにした。地元の方かどうかを確認した上で、この近くに「観音堂」はあるかを尋ねると、男性は、分かりそうな人を連れてくるからと告げて、家の方に向かっていった。こう云う時は、たいてい年配の人が次に現れるのが相場なのだが、意外にも、男性はまだ若くて綺麗な、その家の奥さんと思しき女性を呼んでくれてきた。再度、挨拶をし直し、用向きを伝えると、「観音堂」と云う響きがちょっと聞き慣れなかったのか、しばし考えた後に、わたしたちが「観音様」と呼んでいるのなら、ほら、すぐそこの山の上にあるよ、と手で指し示してくれた。自分のようなものが勝手に上っていってもいいものか、と一応尋ねると、あらみんな勝手に行くわよ、と明るく受け答えをしてくれた。

余談だが、近頃は、どんな地方の奥地まで云っても、若奥さんたちは訛りもしないし、みな垢抜けているから驚く。さすがに、出会う御老人たちは、いまだ昔ながらの雰囲気を持っているが、この垢抜けた奥さんたちも、何十年か後には昔話に出てくるようなお婆ちゃんになるのだろうか、などと下らないことを思いつつ、お礼を述べて、先ほど引き返した道を、今度は自信を持って取って返したものである。

さて、先ほどの小径も、少々上ると、左へと曲がりつつ、何かの施設へと向かうらしく、「危険」「立入禁止」の標識が出ていた。これには少し鼻白いだが、「観音堂」があると教えられた裏山は右手にあり、よく見れば、そちらの森の切れ目に、草蒸してはいるものの、参道入口のような小さな広がりがあった。道なき斜面を少しだけ行って、その広がりから上を除くと、案の定、古びた石段が続いていた。

小手内観音堂14・参道急斜面2
「観音堂」への風化した石段
写真で見るよりは、かなり急勾配である。

この参道石段は、見た目よりはかなりしっかりしていて、歩き難いと云うことはなかったが、何しろ急な上に、結構長いのである。比高は四十メートルはないと思うのだが、何しろ一気に登りつめる訳だから、運動不足の中年には、少し辛かった。パンパンに張る太腿を宥めつすかしつ、休憩を挟みながら登っていくと、やがて山の上の開けた土地へと出ることになった。

「観音堂」は、その草の密生した広場に立っていた。



3. 「小手内観音堂」と「猫像」

小手内観音堂01・斜めから
「小手内観音堂」
「猫像」は、お堂のすぐ右の薮の中...。

「小手内観音堂」は、膝丈に伸びた青草の台地に立つ、「向拝」部分だけが少し張り出した、赤い銅板葺の宝形のお堂であった。堂内のあしらいは全て白木のままで、正面の壇には大きな筵が掛けられてあった。その上の祭壇の前には、お線香立てや手作りの燭台などが置かれ、祭壇の中には、何か金色の仏様が祭られているようだったが、提げられた紅白の幔幕のため、細かくは見ることが出来なかった。

小手内観音堂03・社殿内
堂内

この「観音堂」の「本尊」は、「聖観音菩薩」で、いまでも集落では春秋二回のお祭りは絶やしていないと云うことであった。元々は、字「小手内」の「八巻富男」氏の先祖が中心となって建立したものと伝えられ、その建立年については詳らかでないが、当時使われた念仏道具一式は安永年間 (1775-1781) に求められていると云う記録があることから、その頃の建立と思われる。天然の石を並べて作られた参道の階段は、その当時のままの姿で残されたものだと云う *。

* この段落は、『梁川町史』第十巻 (梁川町、1994、p. 961) 執筆当時の情報に基づいている。

この「観音堂」は、明治十二年一月に、「梁川興国禅寺」の「新井如禅」が制定した「準秩父伊達三十四観世音霊場」の「第十一番札所」でもあり、往時は祭日の参拝客も多く、山里も華やぐ賑やかさだったと聞く。
「梁川」の「興国寺」と云うと、後の記事で扱う「東大枝」の「徳本寺」の「本寺」である。

小手内観音堂04・石碑群
「観音堂」の手前、右手の石碑群。

お堂の外は、「観音堂」に向かって右手にばかり様々な石造物があり、特に広場の右端の一角には十三個前後の石碑が整然と二列に並べられている。多くは、「庚申塔」なのだが、ここも「申碑」は多く、全体の半分近くを占めていたと思う。ただし、「舟生不動堂」に比べると「庚申碑」も同数くらいあったのは違っていた。「馬頭観音碑」もあったと思う。

小手内観音堂12・大黒と石祠2
「大黒天」の陶俑

この石碑群と直角に交わるように、広場後背部壁面の雛壇部分に、「大黒天」や「弁財天」、それに「足尾山」などの石祠類が建てられている。特に「大黒天祠」は複数あり、周囲に「大黒天」の陶俑などが祭られていた。筆者がお参りした時は、地に落ちているものが多かったので、拾って並べておいたものである。「馬頭観世音碑」も一基あったように覚えている。

ここの境内の石造物は、紀年名などが彫られているものは極くわずかで、分かるものでも、一番悪いのが、明治六年 (1873) 二月吉日の「庚申碑」で、逆に最も新しいのが昭和十五年の「馬頭観音」だった。

小手内観音堂11・猫神5
「猫像」
29.5×16×20.5 (cm)

ここまで来れば、後は肝心要の「猫神」を紹介するしかなくなった。ここの「猫像」も、「舟生不動堂」の「猫像」と同じく、最初はどこにあるものなのかまったく見当がつかなかった。

「石黒伸一朗」氏の報告「福島県の猫神碑と猫の石像」 (『東北民俗』第四十三輯、東北民俗の会、2009) の中では、「お堂に向かって右側の『庚申』など十数基の石碑があり、その中ほどにある。」と紹介されているため、草むらに膝をついて、必死に下草を掻き分けながら、例の石碑群を一つ一つ確認して回ったりしたのだが、この石碑群の中にはどうしても「猫神」の姿はなかった。盗難とか破損・破棄などの不吉な言葉が脳裏をよぎる中、必死に探しまわると、お堂の右後ろの雛壇部の一番お堂寄りの部分に、またもや草に覆われて「猫像」は、ちょこんとすわっていた。結局、探した順番から云えば、最後に確認した石造物が「猫像」と云うオチがついた探索であった。

小手内観音堂10・猫神4  小手内観音堂09・猫神3
「猫像」。別の角度から。

「猫像」は、全体的に痛みがひどく、耳は完全に欠落し、顔の細部の造りが判然としないのは、「舟生不動堂」の「猫神」と同じだった。違いと云えば、こちらの像は、端座する猫の右前足部分が破損していたことか。それにしても、前肢の付け根より上の、胸の部分が、まるで「ブードル」のようにふんわりと膨らんで刈り込まれているような造形になっているのは、何故なのだろうか。この「猫神」もまた、その造立年代や造立者などは不明である。



4. おわりに

「小手内観音堂」も、これと云った縁起が伝えられている訳ではなく、祭られている「猫神」に関しても、地元の人は明確に何のために祭ったのかは把握していないようであった。状況から判ずると、やはり「養蚕守護」の線は捨てがたいが、これとて確証なしでは、予断の一つに過ぎない。しかも、ここの境内には「蚕神」関係の石碑や石仏が一つもなかっただけでなく、その石像物のうち年代の分かるものは、すべて我が国の養蚕全盛期に建てられているのだから、なおさら慎重にならざるを得ない。もちろん、「庚申様」が「三尸の虫」の連想から、「蚕」守護に転ずると云うことは各地で見られると考えられているし、「馬頭観音」が「養蚕」の守護神になりうることは、これまた方々で観察されるが、前回の「猫川観音堂」の記事で、筆者もまた確認したことであった。

ただし、他の地域の「猫神」が「蛇神」や「不動様」など、「水神」と縁の深い遺物とセットになっているか、あるいは直接、滝や湧き水の直近に祭られていることが多かったのと同様、「小手内」の「猫神」は、湧き水の気配こそ感じられなかったが、「弁財天
(眷属は蛇) 」が祭られていたことで、その「水神」とのつながりを示唆していたとも云える。しかも、「馬頭観音」や「庚申様」も、究極的には「水神」と関わるものと筆者は睨んでいるのだから、これらの信仰物がまとまってあった以上、ここの「観音堂」もまた、一概に「水神」の線を否定することは出来ないようである。

しかし、それにしても、一番筆者を考えさせたのが、「大黒天」の祭祀である。「栃木県の猫神探訪」に際して強く感じた「猫神」と「大黒天」の不思議なつながりがここでも見えたのは、果たして偶然なのだろうか。しかも、「大黒天」の祠の近くには「足尾山」の碑もあり、ここの「大黒天」の祭祀が、地元に根ざして根源的に深いものなのか、それとも「足尾」地域から移入された新しいものなのか、あるいは前者の上に後者が覆いかぶさったものなのか、俄かには判断出来なくなってしまったのである。そして、ついでながら述べると、「足尾の神」と云うのは、一般に「蛇神」と考えられている。

「大黒天」と「猫神」の関連に関しては、現在、あれこれと鋭意調査中である。そのため、「栃木県の猫神探訪 4) 」は、途絶えたまま発表し得ないでいる。しかし、資料を集め、考察を慎重に重ねていくと、「大黒天」と「猫」が、ただ単に偶然「豊作祈願」などで重ね合わさった訳ではない、と考えるに足る論拠が続出するとだけ、記しておこう。こちらの成果も、近いうちに発表出来るといいな、とは思いつつ、「福島県の猫神探訪」と「長野県の猫神探訪」の記事を終わらせない限り、「大黒天」の考察には、本格的に手を着けないつもりでいる。

*

この後、筆者は、無事「小手内観音堂」の「猫神」様に参拝することに成功し、登ってきた山を再び下って、妻の待機する車へと戻ることとなった。途中、雨の田圃で作業しているお婆さんが、遠くに見えた。何となく目が合った気がしたので会釈をすると、稲穂の波の向こうから、お婆さんが既に小さな体をなお一層かがめるのが見えた。

次に目指すのは、「鍛冶屋場」の「瑠璃光薬師如来堂」の「猫神」様である。

* ちなみに、この稿における石碑の材質や計測値については、すべて「石黒伸一朗」氏の下記の論文に拠った ことをお断りすると共に、謝意を表したい。

「小手内観音堂」への地図は、こちら


参考文献

・幕田昌司 (1979) 「石造物からみた山舟生村の交通路と信仰」
梁川町郷土史研究会/編『梁川町史資料』第九集、梁川町教育委員会
梁川町史編纂委員会/編 (1994) 『梁川町史』第十巻・文化・旧町村沿革 各論篇、梁川町
・石黒伸一朗 (2009) 「福島県の猫神碑と猫の石像」
 『東北民俗』第四十三輯、東北民俗の会



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