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福島県の猫神・日吉神社の猫神

.06 2010 北海道・東北地方 comment(0) trackback(0)
日吉神社
伊達市山舟生字大小

日吉神社01・社殿

「大小」の「日吉神社」

1. はじめに

ここ二ヶ月続いた長大な記事の連続は、前回で終わった。今回は、普段のちょっとくどい程度の案内記に久しぶりに戻れたことを報告して、本稿を開始したいと思う。
*

「清水地籍」の「猫神」の発見に失敗し、台風の影響で天候も下り坂とあって、やや沈みがちになっていた気分も、「羽山神社」と「秋葉神社」の「猫碑」を見つけることが出来た安堵感で一気に吹き飛び、筆者と妻の乗る車中は、外の空模様とは裏腹に、久しぶりに明るさを取り戻していた。次の目的地は、距離的にはかなり近いはずの「日吉神社」であるから、何だか無根拠に気分も乗ってきていたのである。

しかし、である。せっかく明るく気分も乗ったところで残念だったのだが、この「日吉神社」の位置と云うのが正確にはまるで分からなかったのである。いや、より正直に云うならば、事実上、まるで分からなかったのである。

市役所の「梁川支庁」の方の骨を惜しまない協力によって、字「大小」の土地にあるところまでは分かったのだが、そのどこに神社があるのかは役所でもお手上げと云う状態であった。細かい住宅地図のようなものも複写してくれたのだが、いざ現地に赴くと、細かい路地が多くて、どれが地図に載る公道 (車道) で、どれが地図に載らぬ私道の類いなのかがてんで区別がつかず、とても地図を目で追うように行かないのは明白であった。大体、どこからが「大小地区」なのかさえ、皆目見当がつかないのだから、絶望的である。

「羽山神社」周りで二つの「猫神」を発見し、ついでに車の下で雨を避けている地元の「猫様」との対面を果たすと云うオマケまでつき、「舟生の不動堂」での「猫碑」発見以来の明るい気分に浸っていなかったならば、台風が迫りくる中、実際にはどんなにか暗い気持ちになっていたことかと思うと、いまでもぞっとする。しかし、良いことも悪いことも、来るときは数珠つながりに来るようで、このときは良いことが続く運命にあったようである。

ともかく、こんな状態で、筆者の「日吉神社」の「猫碑」探しは、開始されたのである。



2. 「日吉神社」発見!!

大小集会所向かいの石碑群

「大小」の石碑群

自分たちが一体どこを走っているのかさえ見失って途方に暮れかかっていたとき、左前方の崖下に十個以上の石碑が並んでいるのが見え、それに目を奪われて停車すると、その向い側 (すなわち右前方) にいかにも公民館か集会所らしき建物が現れたのである。石碑群は、結局「猫神」とは関係なかったのであるが、この集会所が「大小集会所」と云う表示を掲げていたのだから、この遭遇は、この上ない僥倖だった訳である。もしも中に人がいたなら、「日吉神社」のことを聞けるぞ、と思ったのも束の間、そこまで運は向いてはいなかった。ただし、いまいる場所がまさに字「大小」の地であると判明しただけで、かなりの光明が射してきたと云えた。

大小集会所02
しっかりと見える「大小」の文字!! 嬉しかったなあ...

希望と同時に、失いかけていた元気をも取り戻して、張り切って車を発進させると、張り切る間もなく、百メートルほどで、左手に民家が見えてきた。この先、どれだけ民家に遭遇するかも分からない現状にあって、ここは停車するしかない。車を降りて、玄関先に近づくと、表札に「斎藤」と見えた。これは、前調査で調べていた「日吉神社」横にお住まいのはずの御一家と名字が一致するため、筆者の心臓は一気に期待に高鳴った。「日吉神社」は、現在、「斎藤福幸家」の裏山に祀られていると事前に調べた資料に書かれていたのである。もっとも、地方では同姓の家が集落内に多く存在することが通例なので、あまり過剰に期待しないようにはした。

呼び鈴を鳴らしてしばらくすると、若い女性が応対に出てきてくれた。台風が来ると云う予報の中、突然訪れた髭面の余所者に対して不審げな様子を見せるのを精一杯我慢して、その女性は筆者の用向きを聞いてくれた。答えは実にあっさりとしたもので、「日吉神社」はうちの裏山にある、と云うことと、「猫碑」は二基ある、と云うことであった。女性は、しかし、筆者らが台風に巻き込まれないかの心配を優先して、お参りに行くならすぐ行った方が良いと忠告してくれた。だいぶ (時間が) 掛かりますか、と云う筆者の問いに、ううん、すぐだけど、とにかく急いで、と親切にも繰り返した。

本当は、色々と質問したいことはあったのだが、それも最小限にとどめ、お礼を述べると、忠告された通り、一目散に「日吉神社」を目指した。「一目散」と云っても、そこはオジさんの足のことだから、だいぶ割り引いて考えなければならないのだが...。

日吉神社11・入口
「日吉神社」参道入口。石垣向こうが「斎藤家」

道路に面した参道入口は、草蒸してはいたが歩くのにまるで支障はなく、かつては畑地だったと思われるわずかに高くなった台地を左に過ぎると、木々の繁る裏山へと分け入っていく土の道となる。神社への距離は、さほどのものではないが、上り坂の傾斜は結構きつい。途中、坂は右へと大きく回り込んで、裏山の中腹の台地へと着く。その僅かばかりの平地は、参道に対して縦に長く、そのため、その一番奥に鎮座するお社も、参道が直角にその社前に到着する形で、横向きに建てられていた。

日吉神社01・社殿
「日吉神社」の「社殿」

日吉神社02・社殿内
「社殿」内

「日吉神社」の祭神は、「山王様」とも呼ばれ、「大山咋命」が祀られている。以前は、近くの字「三道」の地に祀られていたらしいが、いつの頃にか現在地に遷されたものと云う。残念ながら、遷座年は詳らかではないそうである。地元では、「目の神様」として信仰が厚いと聞いた。何故、「目の神様」なのかは分からずじまいだったが、気になるところではある...。また、「鍛冶屋場」の「薬師瑠璃光如来堂」が、地元では「耳の神様」として敬われていたことと、何らかの対応をするのかも気になる。


平成二十二年四月二十四日の『毎日新聞』福島版の記事で、「日吉神社」の「猫神」のことが次のように紹介されていた。

「昔、ネズミから蚕を守るため猫が大切にされたから、死んだ後は神様として石碑に祭られたのかなと考えていた」。かつて養蚕をしていた伊達市梁川町山舟生の斎藤尚二さん (86) が振り返る。

自宅裏山には、土地の守り神として敬われる「日吉神社」の小さな社がある。そばには「庚申」などと書かれた十数基の石碑に交ざり、「猫神」と刻まれたものが二つ残されている。高さは共に約五十センチ。赤褐色の凝灰岩で、片方の側面には「文化九年」 (1812) と彫られている。
 (中略)
斎藤さんが物心ついた時には、猫を神様として拝む習慣は既になかったという。

「猫は神さま:暮らしの中で 2 伊達市梁川町・猫神の石碑群」
『毎日新聞』2010年4月24日・地方版




3. 「日吉神社」の「猫神」碑

日吉神社03・石碑群
「日吉神社」境内の石碑群

さて、「社殿」のあるこの台地に上がってから、細長い参道の左手は小高い土手となっており、その麓には多くの石仏や石碑が立ち並んでいた。数えると、全部で十六基あった (と思う...) 。

日吉神社06・猫神1-3
「猫神」
向かって右側の「猫碑A」
46×26×15 (cm)

これら石造物の中に、「猫神」の碑が二つある。向かって右側の「猫碑A」は、赤灰色の「凝灰岩」の角礫で整形加工はなかった。長年の風化のため、碑面はかなり読み取りにくくなっている。その上、台風前の曇天に、日が陰る木々の下とあっては、見えにくさは並一倍である。そして、そんな状況下で、安物のデジカメを、カメラのイロハも弁えようとしない筆者が撮影するのだから、まともな写真など期待出来るはずもなかった。案に相違せず、撮れたのは以下の二枚の悲劇的な写真である* 。とにかく、カメラに明るくない筆者に取って、晴れていない日や、夜の石碑の撮影は鬼門である。と云う訳で、写真にはまったく映っていないが、「猫碑A」の碑面中央には、「猫神」と刻まれ、両側面の紀年銘らしき刻字は、まるで読み取れなかった。

*
筆者は、ここの猫碑の写真を撮っている辺りから、今後は自らのデジタル・カメラを使いこなす腕を改善しなければなるまいと、痛切に感じるようになった。何しろ、やや暗いところではフラッシュが反射して撮影対象の陰影をすべてなくしてしまうのだから、石碑の撮影などは悲劇的なことになってしまうのである。以前、「下総橘」の「猫地蔵」碑や「印西市・武西」の猫碑を撮影する際にも同じ問題にぶつかり、わざわざ晴れた日に写真を取り直しに出掛けなければならないと云うこともあったほどであるが、これも「千葉県内」だったから出来たことで、「福島」などへはおいそれと再訪問が出来ない。

実は、「福島」旅行の少し後に決行した「長野県」での調査に際して、雨の日や夕闇の中などでは、フラッシュを焚かずに撮影した方がよい写真が撮れることを、苦労の末、発見したのだが、これを機に、少し真面目にデジカメの扱いを考えようと思い立った次第である。たまたま、その頃にネット上で、我が国の「狛犬研究」の第一人者の一人である「たくきよしみつ」氏から、自著を紹介して頂き、大変な勉強となった。筆者と同じような悩みを抱えている人には、「たくき」氏の以下の著作は、是非ともお薦めである。ちなみに、どれか一冊あれば十分であるから、最新の「講談社現代新書」の 本がよいかも知れない。

鐸木能光 (2004) 『デジカメ写真は撮ったまま使うな! 』岩波アクティブ新書118
鐸木能光 (2006) 『裏技デジカメ術』青春新書、青春出版社
たくきよしみつ (2008) 『デジカメに1000万画素はいらない』講談社現代新書



日吉神社09・猫神2-2
「猫神」
向かって左側の「猫碑B」
51×22×15 (cm)

向かって左側の「猫碑B」も、赤灰色の「凝灰岩」で出来ているが、こちらは直方体に整形された石碑となっており、裏面を除く三面が綺麗に研磨されている。正面には「猫神」、右側面には「文化九申年」と刻まれている。文化九年とは、西暦で云うと1812年であるから、これは結構古いと云える。台石も「凝灰岩」で出来ている。

「鍛冶屋場」の「薬師瑠璃光如来堂」の記事で、筆者がメモを書き付けた帳面を雨に濡らしてしまったと云うことを書いたと思うが、実はそれはここ、「日吉神社」で起きてしまったことなのであった。強まる雨脚の中、上空もかなり暗んできており、木々に半ば覆われた境内は写真を撮影するにはかなり暗くなっていた。しかし、フラッシュをたくと、反射がきつくて碑面はまったく映らないのである。そこで、片手に持っていた帳面が邪魔になったので、近くの切株の上に臨時に置いて写真を撮り続けたのだが、要するに、そのまま忘れて車に帰ってしまったのである。発車直前になってこの事実に気づき、慌てて坂道を戻ったときには、びしょ濡れとは云わないけれども、ペンのインクが滲んで読めなくなるのには十分な具合になっていた。「日吉神社」に関するメモ類は、その場で取り直したが、「薬師堂」のは無理だった訳である。記憶している限りのことをメモし直して、家に帰ってから、滲んだ文字を解読出来るか、挑戦するしかなかった。



3. おわりに

結局、二日間に及んだ (しかなかった...) 「伊達市内」の「猫神」探訪も、この「日吉神社」の「猫碑」を発見したところで最後を迎えることとなった。まだ向かいたい場所は何箇所かあったのだが、台風のこともあり、そろそろ切り上げた方が良かろうと云う判断で、予定していた後半の探訪は断腸の思いで中止することとした。こうなると、初日に発見し損ねた旧「霊山町」の「猫神」二つが、惜しまれてならなかった。またいつか、日を改めて探索するだろうことは間違いない。

今回の探訪は、天気に恵まれず、結果として時間に追われることになってしまったために、筆者はあまり地元での聞き込みが出来なかった。そのため、場所を確認すると云うことの他に、先行する報告類に付け足す情報は皆無に等しい探訪となってしまった。しかし、そんな欲張った話は別にすると、やはり「猫神様」を自分の足で訪ね、自分の目でしっかりと見る機会を得た旅行は、かけがえなしに筆者の心を揺すぶるものとなった。

ただ、少なかった聞き込みの機会の中でも、「猫神」が「養蚕の神様」だと云う認識が、地元でも極めて薄いと云うことだけは、改めて確認出来たと思う。みな「養蚕の神様だと聞いている」と云う、何やら伝聞形で語るのである。しかも、それを聞いた相手と云うのが、父母や祖父母、あるいは地域の古老であるケースはない訳ではなかったが、あまり多くもなかった。近年、地域史編纂関係者など、一部の識者たちが盛んに「養蚕の神様」説を唱えて廻った影響の方が、遥かに強いように感じられた。逆に云えば、この地域は昭和三十年頃までは、「養蚕」中心の農村地帯だったため、「猫神」に限らず、人々は大抵の神仏に「養蚕」の成功を祈願していたようでもある。

もちろん、「猫神」の神的性格に関する人々の記憶が曖昧だと云う事実は、単なる忘却から来ることなのか、それとも別の要因によるものなのかは、現時点ではまるで判然としないが、先行する諸研究・諸報告が、ほぼ無批判に「養蚕の神様」と断定していることに対する筆者自身の疑問を裏打ちする結果となったとは云える。そうでないとも明確に云えない代わりに、そうだ、と云うはっきりした聞き込みが出来ないのに、それが「養蚕の神様」だと断定するのも早計だと云える。

筆者としては、「猫神」は「養蚕の神様ではない」と云っているのではなく、「養蚕の神様でもあった」と云う立場に立って、「蚕神」になる以前の「猫」信仰の古形にいかに遡及しうるかと云うのが主たる問題意識だと云える。

「福島県・信達地方」と云う、かつての大養蚕地帯にあって、「猫神」は確かに「蚕神」として敬われていた過去があったのだとは思う。そして、この地域に限らず、全国各地の養蚕地帯で、数多くの「蚕神」が祀られてきたのも事実なのであるが、それにしても「猫神」は、その数ある「蚕神」のヴァリアントの中でも、圧倒的な少数派として、例外的に位置づけられねばならないのは、「猫碑」の数が多いことで知られる「信達地方」や、隣接する「宮城県・仙南地方」にさえ共通して云えることなのである。

したがって、筆者としては、そんな信仰の土壌の中で、いかなれば「猫神」が「蚕神」として浮上し得たのかを考え、それがそれ以前からの祭祀の残滓として発露したのではないかと強く疑うに至っているのである。それ以前の信仰の系統に、筆者が「水神」「雷神」などと関わる神格を想定していることは、既に何度か簡単には述べてきたことだが、今回もその詳細に関しては、まだ触れないでおくこととする。

実際の「猫神探訪」の旅行は、この後、「石川郡・玉川村」に向かうことになったのであり、「玉川村」の「猫神」に関しては、既に順番を無視して、「福島編」の最初に紹介している通りである。

ただし、「玉川村」に向かう途中、もう一つだけ、「伊達市内」の「猫神」を訪ねることが出来た。そのことは、次回の記事で報告することになる。そして、ここ数回に渡って紹介してきた「福島県の猫神」シリーズは、次回で一旦、終わりとなって、初の「長野編」に突入することになる。残念ながら、昨年廻った「福島市・信夫山」界隈の「猫神」に関しては、またもやお預けと云うことになりそうである。

* ちなみに、この稿における石碑の材質や計測値については、すべて「石黒伸一朗」氏の下記の論文に拠ったことをお断りすると共に、謝意を表したい。

「日吉神社」の地図は、こちら...ではないかと思うが自信はない...。


参考文献
・幕田昌司 (1979) 「石造物からみた山舟生村の交通路と信仰」
    梁川町郷土史研究会/編『梁川町史資料』第九集、梁川町教育委員会
梁川町史編纂委員会/編 (1994) 『梁川町史』第十巻、梁川町
・石黒伸一朗 (2009) 「福島県の猫神碑と猫の石像」
 『東北民俗』第四十三輯、東北民俗の会
・鐸木能光 (2004) 『デジカメ写真は撮ったまま使うな! 』岩波アクティブ新書
・鐸木能光 (2006) 『裏技デジカメ術』青春新書、青春出版社
・たくきよしみつ (2008) 『デジカメに1000万画素はいらない』講談社現代新書







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