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千葉県の猫神・金剛寺の三毛猫

.14 2010 関東地方 comment(3) trackback(0)
香の猫塚
金剛寺
館山市香 (旧・西岬村)

蘇鉄が植わっているのは、いかにも南国「安房」と云う感じである...

「館山市」の中心街から、県道257号・房総フラワーラインに沿って西南の方角へと進むと、ものの数キロで「香 こうやつ」の地域に到着する。「鏡ヶ浦 (館山湾) 」に向かって連なる「大賀海岸」の白浜へと「香川」の小さな流れが注ぎ込む浜の西のはずれは、磯となっており、「香漁港」と呼ばれている。途中、「館山城址」の北を抜けて、「見留川」や「蟹田川」などを越えてゆく、三キロほどの道程である。

県道から「香」の集落へと入る目印は、県道の左側に現れる「治郎兵衛商店」である。ここの小さな四つ辻を左へと曲がると、「香川」の流れによって削り取られた狭隘な谷筋に沿って展がる「香」の集落の心臓部へと向かう市道に入ったこととなる。

この市道に入ってすぐの分岐路を左へと入ると、集落の鎮守である「浅間神社」の参道前へと導かれる。分岐の角からも、少し首を伸ばせば、神社へのコンクリート造りと思しき階段が見える。ただし、ここの神社は鎮守としての歴史は浅いようで、かつての住民は「神明神社」の方にお参りしたようなのだが、大正から昭和の頃、「コレラ」が大流行したとき、病人がみんな「神明様」に籠ったものだから、鎮守様も「浅間神社」に移したのだと、古老に聞いたことがある。境内には、寛政十三年 (1801) ・天保十二年 (1841) 銘のあるの「手水鉢」と、浜には文政十年 (1827) と刻された燈籠が建てられている。

もっとも、「浅間様」の方に道を辿ると、すぐに道は狭い半舗装路状態になってしまうので、普通車でこちらに乗り入れるのはお勧め出来ない。そも、「香」の集落を巡る道路は、大部分はきれいな舗装路になっているものの、ところどころ、極端に狭い隘路になっている箇所もあるので、軽自動車でない限り、あまり迂闊に乗り入れない方が賢明である。この集落を訪れる際は、先ほど記した「浅間様」の見える角の前方にある「香集会所」の敷地を利用して車を駐め、徒歩で土地を巡るのがお薦めである。

さて、初めに断っておかねばならないのは、今回の「金剛寺」探訪では、猫の像や碑、あるいは猫塚など、具体的な「猫の遺物」は、何も見つからなかった、と云うことである。以上のことを御承知の上で、今回の探訪におつきあい頂けると幸いである。では、「金剛寺」への道案内を開始しよう。

*

集会所からは、集会所の白い建物の横に架けられた小さな白塗りの架け橋を渡って水路沿いの道に出、そのまま左 (東) へと向かえばよい。この橋は、平成七年 (1995) 七月竣工の「桜橋」と云う。

水路沿いに道を歩いていくと、南流してきた「香川 こうやつがわ 」をささやかなコンクリート橋で渡り、その先の突き当たりを左へと曲がるのである。この突き当たり正面の岩には、岩窟が掘られており、これがかつての信仰の残滓なのか、それとも太平洋戦争の傷跡なのかは、筆者には判別できなかった。

と云う訳で、突き当たった道を左へと曲がって少し進むと、右手の斜面の麓に、立派な墓地が現れる。墓の大部分は、道路に面した平地部分にあったが、部分的には斜面の裾にも築かれており、赤い頭巾と前掛けをつけた「六地蔵」や古い供養塔の類いなども崖面に沿って祀られていた。ここに「猫塚」につながる何かの遺物がないかと探ったが、徒労に終わった。

「金剛寺」へは、この先、二本目の路地を入ればよいのだが、実はこの後、筆者は「金剛寺」を求めて、小一時間ほど「香」の集落を彷徨うことになってしまった。しかし、寺へと向かう正しい路地に入ってしまえば、実際には集会所から数えて、全行程で七八分の徒歩行に過ぎない。

「金剛寺」に向かう路地の坂道を右へと導かれつつ登っていくと、やがて集落の後ろの開けた台地へと出ることになる。この二段になった台地の手前の土地は、畑地と草地になっていて、その間の一本道をまっすぐ後ろの山に向かって歩いていくと、一段高くなった台地の一番奥に、「金剛寺」はあった。


後ろに広がる緑の丘陵は、かつて「里見氏」の砦があったと考えられている「要害山」である。


*


さて、今回、この「金剛寺」を訪ねてきたのは、この地に以下のような「猫檀家」の伝説があるからである。

昔、ある古寺に美しい三毛猫がおり、和尚はたいそうこの猫を可愛がっていたが、ある夜、三毛猫はのこのこと出て行ったきり、幾日も幾日も帰らなかった。和尚は、明けても暮れても、三毛猫のことを心配したが、何の音沙汰もなかった。

それから七日経った晩、「本堂」の方から怪しい物音と悲鳴が聞こえた。驚いて、そっと近寄ると、「本堂」の前に三毛猫が血を吐いて倒れていた。和尚は、可愛さと悲しさのあまり言葉も失い、その場に倒れてしまった。翌朝、ようやく我に帰った和尚は、三毛猫のために新しい塚を造り、手厚く弔った。

それから間もない日のこと。村の長者の一人息子が急死した。長者の嘆きは深く激しく、近隣の和尚をみんな集めて盛大な葬式を上げることになった。しかし、三毛猫に死なれた和尚だけは、忘れられて招かれなかった。

その葬式の日。葬儀も進み、ある寺の和尚が引導を渡そうとしたそのとき、急に黒雲が舞い降りてきて、息子の棺を掠めとってしまった。人々は大騒ぎし、居並ぶ和尚たちは一斉に秘術を尽くしてお経を上げたり、数珠を揉んだりしたが、一向に験がなかった。

ちょうどそのとき、古寺の和尚が通りかかり、騒ぎに気づいて立ち止まって見ると、長者が慌てて駆け寄り、衣装に縋って助けを乞うた。和尚は承知するや、人々の見守る中、しばらく黙祷をすると、何やら唱え出した。すると、それまで天高く黒雲に包まれていた棺が静かに降りてきたのである。そして、和尚は数珠で黒雲を追い払うと、無事に葬式を済ませた。

すっかり恩に感じ、心服した長者夫婦は、沢山の供え物を持って古寺を訪ね、お礼を述べにきた。すると和尚は、寺にいた三毛猫が、行方知れずになったとき、わしの夢枕に立ってな、こうしたことがあることを知らせてくれた、その三毛猫も今は死んでしまったが、としみじみ黒雲の因縁を話して聞かせた。

この後、長者は古寺の檀家となり、どうしても恩返しをしたいと、古寺を新しく建て直したので、和尚と寺はますます繁昌したと云う。

原話・羽山常太郎/編 (1917) 『安房の伝説』京房通報社
参照・高橋・安池/編 (1986) 『日本の民話 6 房総・神奈川篇』未来社、pp. 39-41

*

以上が、「高橋在久・安池正雄」両氏の編んだ『日本の民話 6 房総・神奈川篇』に載せられた話の要約である。編者らの文章を、筆者の要約が台無しにしていたら、読者の御寛恕を乞う他はないが、荒筋の紹介としては、取り敢えず十分であるとは思う。

まず何よりも先に述べておきたいのは、『日本の民話 6』でも『安房の伝説』にも、主な舞台となる寺は「安房の古寺」とあるばかりで、固有の名前は挙げられていないと云うことである。しかし、「香」の集落の話であることが分かっていれば、ここには古来「金剛寺」しか寺は存在しなかったので、舞台をこの寺に比定することに問題は少ない。おそらく、間違いなくそうであると云えるだろう。しかし、この説話の古寺を「金剛寺」に比定しているのは、純粋に筆者の判断によるものである。

しかし、それにしても『日本の民話 6』の記述は、原典の『安房の伝説』と比べて、表現の上で格段の配慮がなされていて興味深かった。原典の内容は、はるかに問題含みで、かつ味わいがあって面白いのである。全篇、講談調とも美文調ともつかぬ独特の文体で書かれていること自体、興趣に堪えなかったのだが、何しろ、「安房の古寺の猫」を扱った部分は、途中、数ヶ所に「不動院のくそ坊主」などと云う露骨な表現がなされていて、しかも説明も何もないままのかなり唐突なその使われ方には、最初は筆者もかなり面喰らったものである。一方を名指しでこれほどまでに悪く云っておきながら、当の猫を飼っていた寺の方は、名前を明かされていないのも不思議と云えば不思議であった。トラブルを避けるのが目的ならば、「不動院」の名を伏せればよい訳だし、猫の寺の名前を伏せても、そこの和尚の名は「岳陵」と紹介されているのだから、これまたあまり伏せたことにもならないのである。

以下、この傾向が特に強く見られた箇所を原典から抜き書きする。

若しかしたら村のいたづらつ子にあやめられたのではないかしら、日ごろ心よくない不動院のくそ坊主に、ふびんや絞りころされたのではないかしら、と明けても暮れても、たゞその猫のことばつかし心配するのであつた。
(上掲書、p. 268)

今やいけすかぬ不動院のくそ坊主が、まことしやかに引導をわたすといふ...
(上掲書、p. 269)

驕るものは久しからず、悪はいつしか亡ぶる習ひあやまたず、不動院のくそ坊主は、その夜ある者の竹槍にかゝつてたうたうさし殺されてしまつたが、たれひとり同情するものもなく、路傍にうちすてられしまゝ、あられない烏どもの餌にさらされたといふ。
(上掲書、p. 271)

一体、この「不動院」とはどのような寺院だったのだろうか。そこの僧侶は、日頃からいかにも他所の寺の猫をくびり殺しそうな人だったのか、恨みを買って竹槍で闇討ちを喰らうほどのいかなる悪事を働いていたのか、気になるところである。まあ、たかが民話、あるいは伝説と云ってしまえばそれまでなのだが、ここまで具体的な悪口と云うのもなかなか聞かぬものだから、どうしてもデバガメ根性が働いてしまうのである。

「金剛寺」「不動院」とも「真言宗・智山派」の寺院であるから、宗派間の争いと云うのは、この場合考えられない。となると、宗派内での利害の対立が深刻化していたと云うことなのだろうか。いまのところ資料の不足から、「金剛院」の本末関係が分からないので、これ以上のことは筆者には推測すら出来ないのが残念である。境内に残された石造物は、供養塔や墓碑、筆子塚が中心で、特に過去の争闘などを記した碑文などは見つからず、謎の解明の一助とはならなかった。

いずれにせよ、『日本の民話 6 房総・神奈川篇』を編集した「高橋在久・安池正雄」両氏は、上の話を採録するに当たって、随分とその編集に気を遣って、表現を緩和したようである。あるいは、この説話を、事実の伝承の体裁を重視する「伝説」と見る『安房の伝説』の著者と、特定の時代や場所に拘束されない言い伝えとしての昔話に近いものと見る『日本の民話 6』の編者たちとの姿勢の違いも影響しているのかもしれない。

*

ちなみに、『安房の伝説』において、「猫寺」の敵のように登場させられた「不動院」は、現在の「館山市北条」に現存する。こちらは、市役所の真北と云う絶好のロケーションにあり、いまも古刹としてその名に恥じぬ体裁を保っている。筆者が、『安房の伝説』を閲覧するために「館山市立図書館」に向かった時も、「不動院」の南側を通って行ったものである。

真言宗・智山派

不動院・遍照密寺

館山市北条 1158-1
0470-23-5159



「金剛寺」の地図は、こちら


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comment

庭のねこ
『日本の民話 6』のほうはなかなかリアルですね。
人の日記を読んだような気分です。
今も昔も、恨みつらみを日記に書き綴るという習慣が日本にはありますが、他の国でもこのような考え方はあるのでしょうか。日本人特有なのでしょうか。
それにしても、猫寺と不動院の間に何かあったのか、気になる話です。
2010.04.17 09:38
clubey
庭の猫さん、いつも有り難うございます。あれだけストレートな悪口が印刷されていると云うだけでも、面白いですよね。でも、悪口が書いてあるのは『安房の伝説』の方ですよ、念のため...。
2010.04.17 17:22
庭のねこ
すいません、間違えました。
これでは話が全く変わってしまいますね。
訂正します。『日本の民話 6』ではなくて『安房の伝説』です。
ご報告、有難うございます!
2010.04.25 10:37

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